「自分のライフワークはなんだろう?」
最近良く考える。この数年、部活動、生徒会活動、生徒指導にパワーを注ぎ込み、自分の中で、教員としていろいろな経験をさせてもらった。部活では優勝、生徒会では大規模校での体育祭をはじめとする行事の成功、苦労した学年を卒業させ、はっと我に変える今日この頃。「Margaret先生といえば、○○の先生」と、私にはどんな枕の言葉がつくのだろう。「バレーボールの先生」「生徒会の先生」「生徒指導の先生」・・・。どれもしっくりこない。これからもっと続けていきたいと思うのは生徒会だが、ライフワークとなるとちょっと違う。
そんな時、学年の総合学習で「地域を知る」というテーマを学習することになった。私が担当する窓口は「国際理解」。正直、この「国際」という言葉は好きではない。国や文化を学びながら、最終的には、「人理解」だと思うからだ。私には、生徒たちに、将来的に「国は関係ない。気の合う日本人もいれば、気の合わない日本人もいる。それが、世界に広がっただけ。人として礼儀や情、優しさはどこでも同じ。」という感覚をもった大人になってほしい、という願いがある。
なんて、考えていたら、自分が一番輝いていた時期を思い出した。上記の思いから、25~28歳くらいまで、市の国際交流協会にいりびたり、同じ志を持つ仲間と、出張国際理解教室「EGG」を立ち上げ、ボランティア活動をしていた。生みの苦しさを初めて体験した活動だった。外国人を招いての交流会=国際理解教育、が主流だった当時。「外国人は特別ではない。皆と同じところがたくさんあるんだ」という視点で留学生や在静外国人をふまえたプログラムを作成。時には、採用試験勉強中の私が、なぜか夏の教員の研修に呼ばれ、講義をさせてもらったり、秋の大研究で教諭と公開授業をさせてもらったりした。数年後、私が無事教諭になり、この講義や授業を見ていた教諭と同じ職場で再会。「あのころのMargaretさんは生き生きしていたよ。輝いていたなぁ。」と言われた。「確かに、部活や生徒指導に追われ、ばたばたしている今の私はなんだかくたびれている」と、ショックを受けながらも認めざるおえない現実だった。
話を元に戻し、総合学習がスタートした。私も生徒と一緒に事前学習をする。「かならず人と関わりあいながら研究を進めること」が条件である。活動できなかった数年ではあったが、ひそかに日々ストックしておいた気になる記事や要項を取り出し、市の国際課や国際交流協会に行ってみることにした。そうしたらどうだろう、昔懐かしい人たちがまだそこで仕事や活動をしているでなはいか。「あれからもう8年もたったんだね」なんて話もつかの間、本題に入るともうとまらない。今まで心の奥底に潜んでいたパワーが爆発し始めた。私がお願いにあがったにもかからわず、相手の方からも「今考えていることがあるんだけど、協力してもらえないかな」なんてどんどん話が膨らんでいく。
半年前、やはり数年ぶりに、大学院時代お世話になった研究室の先生が中心に行っている児童英語教育学会に行ったときも同じような経験をした。一番勉強した時期、仲間、恩師、そして内容は、私にとって一番の財産になっているのだ。私が情熱を注ぎ込みたいこと。やっぱり「国際理解教育をふまえた英語教育」なのかな、と思った。この財産を中学校や小学校の現場でどう形にしていくか。これからの課題なのではないだろうか。横浜、名古屋、神戸、長崎、北海道など、港がたくさんあり、昔から外国人の出入りが多く、現在でも生活に外国とのつながりが目に見えてわかる地域とは環境が違う静岡で、静岡ならではの活動は何なのか考えてみたい気もする。
しかしまずは、一番実践できる私の授業から。「Margaet先生と言えば、魅力的な英語の授業をする先生」と、シンプルではあるができることからやってみたい。
大好きなすずらんを眺めながら。